宮崎県職員の仕事の邪魔になるので在京メディアはさっさと巣に帰ってください。
本当はあまり食いつきたくないのだけど、ちらりと見たニュース番組での県知事に群がる報道陣の群れがひどかった。当選して頑張ってね、で終わるわけがないと思っていたが、予想通り。おまけに花束を渡した秘書にまで食いつく始末。
カーリング、荒川静香、WBC、甲子園の優勝投手、日本ハム。プロは仕方ないけど、相手と周りの迷惑を考えずにうろつくのはやめてくださいな。
ヤマザキパンって良い噂をきかないんだけど、大丈夫なんだろうか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php
ja.wikipedia.org/wiki/山崎製パン
1/18も出社。別フロアの片づけなどをやっていると昼になった。食堂で炊き出しとして用意されたカレーライスを食べながら涙が出てきた。そういえば1/16から食べたものといえば、1/16朝のローソンおにぎり、1/17にこぼれてしまった塩ラーメンの麺、夜のクッキーだけだった。
1/18やそれ以降についてはあまり記憶がない。翌週、東京の会社から支援要員と物資が届いたのは印象に残っている。東京からの人たちは、テレビの報道を見て神戸全域があのような状態になっていると思っていたらしく、うちの会社の状況を見て拍子抜けしたらしい。
わかりやすいインパクトのある映像で災害を伝えるのはいいが、局所的すぎる報道は誤解を生んでしまう。被害にあってない地域が他の地域の災害を報道する場合、連絡の取りにくい地域を等分に分担して報道した方が良いのではないか。キー局4つ以上+NHKのような数が揃っている地域ばかりではないので分担は現実的ではないのかもしれないが、集中し過ぎるのは資源の無駄だ。
災害が発生した地域の場合。こういうときはやはりラジオになるのだろう。乾電池とラジオさえあればサポートエリアも広いので「どこでも」がある程度通用する。大がかりなアンテナも必要ない。夜ならば遠隔地の局も受信できる。映像に頼らない分、情報を効率よく伝えるノウハウもありそうだ。
インフラがある程度復旧すればネットやテレビも使えるようになる。しかしワンセグや携帯電話のサポートエリアとして空白のままとなる地域がある。「災害用伝言板サービス」のような試みもけっして無駄な努力ではないが、どこでも使えるものではない。一通り紙ベースでまとめて、使える地域へデリバリーするなどアナログ的な手法を組み合わせる工夫に期待するしかない。
今日1/17のNHKで「国や自治体での最先端の情報技術」や「住民間の情報収集体制の構築」という内容が放送されるので、どのような試みがあるのか確認してみたいと思っている。現実に災害が起こった場合の苦労を少なくするためにも。
よみうりテレビの「情報ライブ・ミヤネ屋
というのも興味があるが録画設定を忘れてしまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/非常食
に「災害時には電力やガス、水道などの社会的な供給インフラの機能が停止することも予想されるため、常温で保存が利き、屋外でも特別な器具なしに飲食できる物である必要がある」と説明される状況に私も直面した。湯が必要なインスタントやレトルトは無駄に終わる場合があります。
ま、自分自身で長期間やっていけるだけの食物を用意するのはいいですが、一人や家族だけで長期食べていくのではなく、できれば周りに気配りをしたいところです。「非常」が長い場合は公共サービスに頼った方が良い。
さて私自身と私の周辺で1/18以降にあったことをまとめると、
・二月までは家庭優先で出社の扱いが柔軟になった。
・阪神淡路大震災当時はまだWindows3.1の時代でWebページがそんなになかったが、被害状況を共有する活動はあった。私の会社は比較的進んでいたのでMosaicユーザが少なからずいて、見る機会があった。
・隣の三木市のホームセンターでポリタンクとカセットコンロが売り切れた。
・神戸市内からの買い出しで三木市と神戸をつばぐ国道が大渋滞。
・私自身もその影響で会社から500メートル先の信号まで移動するのに一時間を要した。
・1/18夕方に家の水道の蛇口から水が出るようになった。
・ガスは復旧業者が巡回していたようだが、タイミングが悪く夏になるまで復活できなかった。その間は近所の銭湯通い。
・女子寮の人たちは別の会社の寮の厚意があり全員移った。
・当時からつきあっていた多くの男女がパートナー宅を避難先にしたのをきっかけに結婚。
・朝八時集合の予定だった仕事が延期のまま音沙汰なくなった。
二月になり、落ち着いた頃にレシートなどを片づけていると手書きのメモが混じっていた。
「1/15参上。予告通り、しめ飾りは取っていきます」
という妹からの伝言だった。しめ飾りのことなんてすっかり忘れていた。
七時台だというのに同じように心配だったのか何人か会社にやってきて同じようにフロアに上がってきたが、このまま居続けていいものか判断がつかず、いったん下に降りた。退去しなければいけないレベルでのビルの損害はないということでフロアに戻り、水被害に合いそうなPCを避難させてから自席周りを片付け、通路を確保した。
気がつけば会社に到着してから一時間半が経ち、当初の出勤時刻の八時を三十分過ぎていた。八時集合予定だった面々はまだ来ていなかったが、他のグループの市外からの自動車通勤組が続々出勤してきた。本来の入り口のドアはゆがんで開かなくなっていたため、私が入ってきたのと同じ非常口から入るしかなかった。会社内は予備電源が動いていたのかブレーカーを処置することで電気がついた。といってもPCの電源つけている場合じゃない。フロア全体を片付け始める。
しばらくして別の場所から水被害。ディスクサーバーの上辺り。扱いがわからないので、おまかせする。八時集合の件はとりあえず延期と告げられる。十時を過ぎてから不在者の安否確認を始める。分担して電話をかけはじめる。
今はこの手の連絡先がディスク上のデータしかないので、全く確認できないのかもしれない。
ほとんど連絡が取れたので安心する。一名地震に気づかず寝過ごしたと勘違いしたドン勘な人がいて、なごんでしまう。街の方にあった女子寮は被害が大きかったらしいが、けが人はなかったようだ。
フロアやマシン室の共有スペースの片付け、倒れた棚の処理などの力仕事などを一通り終えたのが十二時頃。しばらく自席でボーっと朝のことを思い出していた。このままいても仕方ない気がして帰ることに。神戸の中心地ほどの被害ではないとは言え、近くのコンビニで物が売ってる可能性は少ないと思い、かろうじて開いていた会社の売店でUFOを4つほど購入し、会社を後にした。途中いくつかのコンビニを回ってみるが、やはりほとんどものがない。最後に寄った店にいくつか食べ物があったが、UFOを持ってる自分はまだ我慢が出来そうなので遠慮する。十五時頃に帰宅。
蛍光灯をつけるとその輝きを取り戻した。ラジオの時計を見るとズレている。停電になると時計がリセットされるタイプのラジオなので逆算する。八時頃に家の電気は復旧したようだ。
テレビをつける。壊れた阪神高速や伊丹駅、三宮のビル、長田区が繰り返し、放送されていたのを十九時頃までずっと見ていた。当時利用していたNIFTY-SERVEにアクセスしてみるが電話そのものが不通状態だったのかつながらない。同じく星電社のBBSにもトライする。これも三宮だったのだろう。つながらない。
何回か余震があったがそれほど大きくはなかった。晩飯を食って寝るかとUFOタイムにする。ガスは止まっているが、電気コンロだったので湯沸かしはできると水道の蛇口をひねった。水が止まっていた。やかんはもちろんからっぽだ。夕方に給水車が来ていたようだが、気づくのが遅れすぎた。部屋内に食べるものがないか探す。正月親元に帰ったときに荷物として押しつけられたクッキー4個を発見。迷惑に思っていたクッキーをありがたくチビチビかじりながら、いつの間にか眠ってしまった。
十二年前。自分は会社の仕事で1/14〜16の休日出勤だった(16日は月曜だけど成人の日の振り替え休日)。
1/16の仕事を翌二時半に終え、帰宅。車を降りて部屋に戻る前につけっぱなしだったしめ飾りがなくなっていたのに気づく。近所に住んでいる妹が予告していたことを思い出し一人でニヤニヤしていた。1/17朝八時出勤が決まっていたので、寝ずに起きることにした。
五時半をちょっと過ぎた頃にサッポロ一番の塩ラーメンを作り始めた。いつもよりちょっと早い朝飯だ。二、三回すすったときに突然揺れ出した。最初は地上げ屋のたぐいのトラックがつっこんできたのかと思った。船が揺れたときのように足元が揺れはじめる。床の動きと一緒に丼も揺れ、塩ラーメンのスープが飛び出していく。スープにつられるように麺も丼からはみ出ていく。廃品回収に出そうと思っていた雑誌が崩れていく、冷蔵庫の上に置いていたカラのやかんが床で金属音をたてている。
部屋の蛍光灯が暗くなった。電気が止まった。ここでようやく地震だと気がついた。状況が知りたい。ラジオの電源ボタンを押した。つかない。電気が止まっているのを思い出す。電池は用意していない。駐車場に移動するため外に出る。同じ建物の隣人全員も外に出ていた。
車のラジオでなんとなく状況がわかった。どうやら私の住んでいた西区はまだマシな方だったらしい。状況がわかったとはいえ、まだ慌てていたのだろう。私はそのまま車を運転して会社に向かった。本当はむやみに動くべきではなかった。車通りはほとんどなかったので結果的には無事だったが、信号は全部止まっていたのだ。バカなことをしたと今でも情けない気持ちでいる。
会社に着いた。さすがに従業員はいない。ビル管理の警備員さんはいたが、状況確認中だった。一緒に非常口サイドからフロアを見に行った。横揺れで引き出しが全部飛び出し、PCの14インチモニタの多くが床に落ちていた。落ちていた場所と元あった場所を考えると上に飛んでから落ちたのだろう。
窓際の天井から水滴が落ちていた。屋上と自分のいたフロアの間にもう一つフロアがあるのに何故ω
産経にもこういう人がいるんだなあとびっくりしました。
花岡さんは「おそらく雑誌かなにかのコラムだったら、見過ごされただろう」と書いていますが、どういう状態になると「見過ごされていない」になるんだろうかω
新聞屋さんやプロの方は記事への反論を受け止めるだけの心の準備があって当然だと思います。花岡さんは反論を受け付ける覚悟ができていなかっただけで、NHKの件で対応したときのようにやれば出来るじゃありませんか。
感情丸出しな意見に関しては、たしかに受け止めるのは気分悪いものです。でも自分の文を読んでどう思われてしまったか考えるのにはわかりやすい材料と前向きに解釈するしかないでしょう。一般の私には耐えられませんが、プロならば頑張ってすべてを受け止める覚悟をしてください。
個人情報晒しのような議論に関係ないレベルの行動、共有、交換を私は支持しませんし、書いてらっしゃる怖さはわかります。その罪の部分を強調したいのはわかりますが、功の部分もそれなりにの評価して書かないと、時代についていけない人のボヤキのように受け取られます。
意見を出す側としては、ネットを介することでハガキなどでは出来なかった、他の読者との意見の共有や交換や補正が出来るようになったのでありがたく思っています。功の部分を言及されていないのは、それさえも恐ろしいのですかω

